2014年1月2日 星期四

ファンキーな神々・台湾民間信仰(一)ウェルカム、ファンキーな国へ




日本の西南にある島、台湾。ポルトガル人に発見されてから、ずっと「美麗島」という別名で呼ばれてきました。
 でも、この島国実はとてもファンキーということはご存知ですか?
 この島は、親日で有名ですが、厚い人情、そしてメシがうまいこともよく知られています。だが、この島の文化的な土壌とでも言えるものは、やはり民間信仰でしょう。本書は、この民間信仰の神々について書くものです。
まずことわらなければならないのは、私は日本の大学で学位を取った研究者ですが、マジメで論文的なモノを書くつもりはまったくありません。台湾の国柄はよく人懐こいとか優しいとか言われるが、いい加減でファンキーこそがこの国の真骨頂だと思います。「台湾民間信仰論」とかなら、その辺の専門書はいっぱいあるので図書館で捜してみてください。てか、この楽しい民間信仰のことをマジメに書いてられません


でも、このような加減のいいところが、大好きです。てか、台湾人です。日本に来てから、日本人は一生懸命に人生を細く長く生きようとすることに気づきました。台湾人も、できれば人生を長く生きようとします。ただし、ナイル川のように太く、ですね。日本の宗教観が無常にあるなら、台湾の宗教観はいかに楽しく長くそして金持ちで生きる一点に焦点を絞っています。
日本に神社があるように、台湾にも「廟」という民間信仰の拠点が散在しており、その密度は日本の神社より遥かに高いのです。非公式の統計ですが、現在台湾にある廟の総数は20000を下りません。人口2300万、面積36千平方キロの国にしては、その密度の高さは伺えましょう。
このような神々の国にはもちろん日本の神道のような伝統信仰があります。一般の学問書や台湾の紹介本は、よくそれを「道教」と呼びますが、実はちょっと違います。てか、ぜんぜん違います
 なぜなら、アニミズム大国台湾では、道教の神だけではなく、仏教の菩薩なども信仰の対象になるし、人種にいたってはオランダ人日本人も拝まれる神にはなり得てよその人々から見ればわけわかんねぇ状況になっています400年移民の国としての歴史、様々な宗教が台湾に入って、そのつど民間信仰が影響を受けて、神々の数が増えてきました。そのため、台湾民間信仰は中国から伝わってきた民間道教が主体となっているが、台湾にはすでに中国の道教とまったく違うものが存在して、そして今でも深く台湾人に篤く信仰されています。
この本は、台湾人に大きな影響を与えている民間信仰の神々について述べていきたいと思います。この宗教の博物館とも言える国の、人々の心の中の「聖なる世界」を理解できれば、この国のかたちがより明確に見えてくるのでしょう。

一、台湾の神々の世界観
 台湾の民間信仰の世界観は、簡単にいえば、昔の封建社会を理想化したものです。そこにお殿様がいて、我々庶民百姓がそれにマンセーするという構図です。その頂点に天帝がいて、その下に文官、武将、そして各分野に専門の神がいて、その任務を遂行するために、神々がそれぞれの部下、兵隊を持っています。この世界には、善人が必ず賞賛され、悪人が必ず罰を受けます。神の力によって、冤罪も悪が栄えることも決して許されることがありません。言わば、この世のすべての理不尽が清算される理想の世界です。
 逆に言えば、リアル中華世界はどんだけクソな社会というわけですけどね
 しかし、民間信仰の一つの特徴は、決まっている聖典と教義が存在しないことです。そのために、この神々の世界観は時々お互いに矛盾します。台湾の民間信仰はバチカンのような総本山がなく、信者たちはそれぞれ通う廟を中心としてまとまっています。その廟の中心的な神は「主神」と呼ばれており、廟同士の付き合いはありますが、基本的に信者たちにとってその主神に代表される世界観こそすべてになります。簡単にいえば、親分と子分の聖なるヤ○○社会のようなものです。そのため、違う廟の主神に代表される神の世界観は、たまには相容れないものがあります。例えばどの神の階級が上か、そして二つの廟の神同士のどっちが偉いかとか、そういう言い争いが喧嘩にまで発展することも珍しくはありません。
 では、違う廟の信者たちが、相手の廟に行ったらどうなるのでしょうか。
 参拝します。それも建前上の参拝じゃなく、心から神の威力を信じてお祈りします。台湾人にとって、神とは絶対的なものではなく、むしろ人々に親しく強い力を持っている偉い存在です。ですから、ほかの廟に行って、その主神に敬意を払ってもまったく問題のないことです。他のシマに行ってそこの親分に挨拶するぐらいの義理です。
 このように、心底から崇拝しているけどかなりアバウトで、マジメなのかふさげているのかわからないところが、台湾の国柄、そして民間信仰の最大の特徴です。
 でも、善の世界があれば、悪の世界もあるのはどの宗教にもよく見られる概念です。台湾民間信仰には善の世界はまるで霞ヶ関のように組織完備にしてウルトラ機能ですが、悪の世界も中々手強いものです。というより、善の神が法力強くなければ大物の悪い霊に負けることはザラにあるという自己責任制の世界です。ですから、信者たちはいかに力が強い神様を探してその傘下に入って、そしてその神様が自分だけを守ってくれることを確保するのは一番大事です。
 本当に、儀礼とかのやり方はいい加減に見えるかもしれんが、実は大変な世界ですよ。