2012年2月18日 星期六

李登輝先生に異を唱えたい――英雄の条件(向李登輝前輩挑戰----英雄的條件)

    台湾人として、大先輩である李登輝先生を尊敬してやまない。日本人、中国人、台湾人というアイデンティティ及び時代背景を体験してきた李登輝先生はご自身の専門である農業経済のみでなく、日本の各分野にも明るく、まさに哲人政治家の名に相応しい人物である。李先生は徳川家康を非常に尊敬し、彼こそ政治家の鑑とおっしゃい、特にその忍耐の強さと深謀遠慮を大いに評価している。


(作為一個台灣人,我非常尊敬老前輩李登輝先生。身經過日本人、中國人、台灣人等身分認同和時代背景的李總統,不只在其農經專業、也對日本的各領域非常了解,可以說不愧是一位哲學政治家。李總統非常尊敬德川家康,說他可說是政治家的典範,特別是其堅忍和深謀遠慮,更是受到李總統的推崇)



    ただし、私は僭越ながらあえてこれについて異を唱えたい。
家康は、のちの太平の世を作り出した偉大な人物については異存はない。ただ、司馬遼太郎が言ったように、江戸時代というものは一家の統治を守るために、すべての日本人を矮小化した傾向もある。安土桃山時代の日本人が持つ積極性や豪快さは、江戸時代の綿密な封建体制によってなくされてしまった。もちろん、それによって江戸時代が後世の日本に律儀さ及び職能者に対する崇敬を残し、それらが明治維新後の日本の躍進につながったので、評価されるべきところもある。


(但是,我卻不自量力地和李總統有不同的看法。
    德川家康是創造之後太平盛世的偉大人物,這點是沒有異議的。不過就像司馬遼太郎所說的,江戶時代是具有為了維持一個家族的統治,而把所有的日本人侏儒化的傾向的。安土桃山時代的日本人所擁有的積極性和豪邁,因為江戶時代嚴密的封建體制而被消滅了。當然,也因此江戶時代留給了後來的日本認真嚴謹和對專業的尊崇,而這也造成了明治維新後日本的發展,所以也是有值得肯定的部分的)


    だが、私は台湾人である。それを考えると、今の台湾には、家康が必要なのか、それとも信長が必要なのかを考えてしまう。
信長は坊ちゃん育ちで、家康は苦労と苦労を重ねて、幼いにして父と母を無くし、挙句の果ては家臣に売られて一時期は人質生活を強いられた。彼の生涯の我慢強さと腰の重さは、この幼少生活に原点を持つであろう。それに対し、信長のような坊ちゃまは思い切りに物事を実行できる。だからこそ、彼は中世的な権威を打ち破り、新しい世を作ることができた。だが、そのあまりの激しさに彼は非業な死を遂げ、その改革の成果を秀吉、家康が継承する形になった。


 (可是,我是一個台灣人。因為這樣,所以我會思考到現在的台灣,到底是需要家康、或是像信長這樣的人?
    織田信長是少主出身,而家康則是充滿苦難,從小就失去父母,最後還被家臣出賣,一時間還得被迫過人質生活。他人生中的擅忍和謹慎,其原點應該就是他這樣的童年。相對的,信長這樣的公子哥可以大膽地實行理想。也因此,他能夠打破中世的權威,創造新的時代。不過,也因為其偏激而死於非命,而他的改革成果則由豐臣秀吉、德川家康接收了)


    現在の台湾は、新しい時代を欲しながら、旧権威がまた幅を利かしている。革命者が必要でありながら、李登輝先生の改革の後英雄が出てこない。もちろん、才を世に問おうとする者は大勢いる。だが、皆家康の忍耐強さを持っているかどうかは知らないが、小心者であることだけをよく身につけた。革命が成功する前に、すでに計算と利得が入っている。李登輝先生はお大尽の家の生まれではないが、健全な生活をお過ごしになられてきた。もし彼は家康のような苦労ばかりを舐めてきたら、国民党の中で粛々と自分の栄達だけを考え、のちの偉業を成し遂げることは絶対なかろう。だが、革命はまだ終わっていない。なのに、家康のような狸の群れが台湾に溢れている。小心者に、革新ができるわけなどないのに。
せめて、秀吉型の人物が台湾に出てこないのかな。
(現在的台灣,雖然希求新的時代,但舊權威卻仍然發揮著威力。台灣需要革命者,但李登輝的改革後的現在卻沒有出現英雄。當然,有許多人物是爭著要出頭的。但是這些人不知道有沒有家康的擅忍,不過倒是小心謹慎這點學得很好。在革命成功之前,就開始在計算利益得失了。李登輝不是出生在富裕之家,但在健全的生活中成長。如果他是像家康一樣辛苦長大的話,應該就只在國民黨裏想著自己的富貴升官,絕對不可能達成日後的豐功偉業了。不過,革命尚未結束。可是像家康一樣的老狐狸軍團卻充滿了整個台灣。明明沒有LP的人,是不可能達成革新的啊…
    希望最少,像秀吉一樣的人物可以出現在台灣啊。)